2017年09月05日

『わが涙よ、わが歌となれ』の本

昨日(一昨日)教会で午後の話し合いがあった後、集会室の本棚から原崎百子さんの本を借りてきました。
『わが涙よ、わが歌となれ』新教出版社刊です。
なぜか偶然にも新教出版社の本のことを書く機会が多いのですが、この同じ本を、頼子の発病直後、母教会の先生から『天路歴程』の絵本と一緒に頂いたのでした。
亡くなった方の証の本でしたので、もちろんこの本は母親の私に下さったのですが、その本を頼子が読んだ経緯は実のところ思い出せませんが、頼子の日記によると、

『本は星野さんの読み終わり、次、原崎さんという人のを読み始めた。この人は牧師夫人で考え方に圧倒された。死を見つめて主に感謝している。もう亡くなってしまった人だけれど……。
この本はY先生が持ってこられた。(お母さんに、お母さんが忘れて行ったので私が読んでいる)それをしばらく読んで……
そのあとまた、原崎さんの本読む。――』
(1月20日)
『しばらく原崎さんの本を読み、そして『天路歴程』を読んだ。なんだか他人事のような気がせずに、しばらくクリスチャン(主人公の名前です)の姿を見ていた。
 読み終わり、とても充実感(何回目かだけど)塾の集中ゼミにのっていた、
『時代を、空間を超えてその人の考え方を、作品を読みとれる』というのは素晴らしい! 自分の経験から、また一つ確信することがある。入院してるのもそんなに悪くないね。――
そのあとまた、原崎さんの本読む。――』
(1月21日)と直後に集中して読んでいたことが日記に記されています。
その本は1月18日にお見舞いに来て下さった先生からいただいたもので、すっかり落ち着きをなくしていた私は新しい本を読むゆとりなどなく、内容も考えず病院に置いてきてしまったものと思われます。
その後自分でも一通り読んだ後、亡くなった人の記録だったので、この本を読みたいと言っていた友達がお見舞いに来てくれた時、その人に上げてしまったのでした。(余談ですが、それが今ボランティアをしている病院の前の院長夫人で、その少し後で亡くなられました。この本と一緒にお貸しした山川千秋さんの『死は終わりではない』の本も読み、感動して「山川さんの本は買いました」と後でお手紙を頂きました)

頼子が亡くなって後、再び原崎百子さんという方のことが気になったのは、その方が頼子と同じ8月10日に亡くなられていたからです。どんなふうに最後の日々を過ごされたのだろうかと思いました。
偶然にも頼子が病床で読んでいた本を書いた方と、同じ日に召されるとは……
讃美歌の320番『主よ、みもとに近づかん』の3番に、

主のつかいは み空に
かよう梯(はし)のうえより
招きぬれば、いざ登りて
主よ、みもとに 近づかん


とありますが、その方が神様の使いになって頼子を迎えて下さったのかと想像しました。
何年か前、教会の本棚で今は手元からなくなったその本を目にしました。そのとき「いつかまた読んでみよう」と思っていました。
そして昨日やっとその本をお借りしてきたのでした。

頼子が闘病していたときは、どうしたら病気が治るだろうか、ということばかりしか考えられませんでした。ですからどのような素晴らしい本の内容も頭の中を素通りしていった感があります。
この度、再びこの本を手にとって読み、頼子が「考え方に圧倒された」と書いているのに、自分はそのような思いには至らず大切なことを全部読み過ごしてしまったことに気が付きました。
ただ頼子も「がんで亡くなった牧師夫人のように、病気になったことをよかったと思うことはできない」とは言っていました。当然のことだったと思います。
原崎さんがご自身の病気を信仰的に受け入れたうえで、ご夫君や4人のお子様方に対する切々とした思い、また教会やご父母やそのほか、多くの方々に対する思いは本当に感動的で胸うたれます。
病名の告知からわずか44日で召されなさいましたが、その日からご夫君とお子様あてに2冊の日記を書き始め、ご夫君宛のものに「私の生涯は今日から始まるのだし、これからが本番なのだ。……』と書かれています。
感動したところはほとんど全ページに及びますが、自分の中の共通のような思いをいくつかご紹介させて頂きます。

八月六日の日記の一部です。
『二郎が早々と来てくれた。私は少しシャンとした。母親だもの。子どもにむやみと心配させたくない。「いいよ」と言ったので今長椅子に眠っている。私は座してその顔をみつめている。ああ、これが反対でなくてよかった。二郎が病み、私がみとっているのだったら! 二郎、健康な二郎,心配しないでおねむり。赤ちゃんの時そうしたように、お母さんはあなたをここで見守っている。私のよろこび、私のなぐさめ、私のすべて。子供! 四人も子供がいるという私の幸せ。
二郎、悲しみをのりこえて強くおなり。やさしくおなり。たくましい青年になってお父さんを助け、律子と力を合わせ、忠雄と周平を可愛がってやっておくれ。
神さま、彼をとらえてください。祝してください。愛する者たちをあなたにおゆだね致します。」

告知を受けて3週間後、教会の方々への録音メッセージから。
「ガンでしかも両肺とも冒されていて、免疫療法はしているものの、やがていつかは自分に死が訪れることを直視させられた時、死に対する恐怖はなかったのか。そういう疑問がおありになるのではないでしょうか。
実は、最初に名大病院に入院する前、三月十八日、土曜日のことでしたが、手洗いに立ちました時、一種異様な感じがいたしまして、なぜだか分からない、自分の体がひどく無茶苦茶になっているような感じがいたしました。
あの時、私は一瞬でありましたが、死の影というものを感じました。この病気で自分が死ぬということもあり得るのだということを、現実のこととして予感したのです。で、その時私が思ったことは、そうだ、それに備えて自分はしっかり考えておかなければいけない。死とは何か、生とは何か、復活とは何か、希望とは何か、そのことを考えなければならない。それでなければ私はこのことに耐えていかれない。名大入院までの期間は、私の今までの闘病生活にとって、一番つらい数日間でありました。その時、私は考えたのです。聖書を一生懸命読んだんです。希望とはなんだろう、死はいったいどんなものなんだろう。その時、私がそういったことに関して考える時間を持たされたこと。それがあったゆえに、ガンと聞かされた時も,私は死に対するある心備えをしていることができました。』


ご夫君の執筆の中の 「W妻とともに」の冒頭のことば
「妻が肺ガンであると知ったとき、私の心に真っ先に浮かんだのは、旧約サムエル記下十一章に記されているダビデの話であった。殊にも十二・十三の預言者ナタンのことば、およびその箇所についてのデートリッヒ・ボンヘッファーの注解のことばであった。「罪の赦しは、罪の刑罰を我々から取り去りはしない。信ずる者も死なねばならぬ、罪の値を払わねばならぬ。ダビデも、彼の罪の刑に処せられる」。
かつてこのボンヘッファーのことばに衝撃と共に深い感動を覚えた私ではあったが、今はそれが私自身の事柄として迫ってきた。私は過去数十年にわたる、殊にも牧師になってから十九年間の自己の不信実、罪を念った。妻は今、この私に代わって罪の値を支払おうとしているのだ、との思いがあった。イエス・キリストによる罪の赦しを信じている私ではあるが、罪の赦しとその刑罰の免除とは同じではないと言うボンヘッファーのことばが、強く私に迫った。私はおそらく四十六年間の生涯ではじめて本気で悔い改めた。」

同じく「W妻とともに」の[八月二十七日]の記述
「森有正氏は、人間における「体験」と「経験」ということを峻別した。これほど似て非なるものはない、というのである。私は妻を亡くした今、あらためてそのことを考えている。つまり、妻を亡くして悲しんだということは、私の体験である。しかしこの一時的体験は、ついには私の不動の経験にまでならなければならない。経験になるということは、私の悲しみなり苦しみなりが、私の今後の生活の中で、不断に考えられ深められていくということである。そして遂には、妻の死に直面した苦しみという個別的範疇を超えて、もっと人間そのものの悲しみや苦しみという普遍にまで到達することである。その時はじめて、今私が苦しんだということも意味を持ってくるのであろう。かくて妻は、私に一つの重い課題を残したのである。」

8月6日亡くなる四日前に初めて原崎さんの日記を読まれたご夫君は、
「正直驚きだった。押さえがたい感動がみるみる心のうちに拡がっていった。そして「よし、これなら死んでもいい」と思った。この日感じた明るさは、その後私の内から失せていない。」と書かれています。


頼子が告知を受けて間もなくから、この本に出会っていたことを今は本当によかったと思います。
最初のころは大きな衝撃の中でしたが、まだ生きる望みを持っていましたから、比較的冷静にこの本の内容を受け止められていたと思います。また時に自分と重ね合わせて考えることもあったかと思います。頼子もまた自己の内面を探って、充実した日を過ごしていました。
「あの子は早いですよ」と最初から、助からないことを告げられていた私にはできないことでしたが。
原崎さんはふつうの家族が、子どもが成人して独立していくまでにかかわれる以上の深いかかわりを、お子様方と持ちました。姿は見えなくなってもいつもお母様の存在を身近に感じて成人されたと思います。
ご夫君のこれからのことについても実に細やかな心配りをされています。それをお子様方に伝えておられます。本当にやさしい言葉で。
そのほかの方々にも実にやさしい思いやりの言葉を残されました。そのことにまた深い感動を覚えました。

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2017年08月27日

天国の話

病院のボランティアではいつも貴重な体験をさせていただいています。
患者さんとの心に残る出会いもたくさんありますが、同じボランティアをされている方との交流もまた貴重な体験です。
先日、ちょっとしたハプニングがあって、そのことに係られたある方とお話しする機会がありました。
その方だけの責任ではないのに「自分が確認を怠ったから」と言われてご自分を責めておられました。そのことでいろいろお話していました。それからなんとなく個人的な話に発展してしていき、私は最初にボランティアを始めたことのいきさつなどを話しましたが、その方は亡くなったご主人のことを話されました。
ご主人は十数年前、原因不明で病名も分からない難病になり、大手術も受けられましたがとうとう治る見込みがないことを告げられたそうです。手術を受けた病院を退院し、その頃はまだ医院だったこの病院に転院しました。
がんという診断もつかなかったため、抗がん剤の治療も受けられなかったそうです。ただ死を待つばかりの状況でした。でも毎日夜になると院長先生が病室を訪れ、ご主人に天国の話をして下さったそうです。
天国がどんなところか、天国に行ったらどうなるのか、ありとあらゆる角度から繰り返し繰り返し天国の話をされたそうです。毎晩毎晩、それが続きました。
聖書には天国についての記述が次のようになされています。
「見よ、神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また神ご自身が彼らとともにおられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(ヨハネの黙示録21−3、4)


ある日、先生がご主人にうなぎが好きかと尋ねられ、好物だというと、うなぎをご馳走してくれました。ご主人はそのうなぎをおいしいと言ってたくさん召しあがったそうです。それが日曜日のことで、その翌日ご主人は亡くなられたそうです。そして死の間際に洗礼を受けられました。
ご主人を見送られたその方は、その後心労もあってか体調を崩され、重篤な病気との闘いも経験されました。でも今は元気になり、病院の近くに住み、ボランティアをなさっています。
その方の人を思いやるやさしさや物腰の穏やかさは、もともと備わっていた賜物かもしれませんが、苦しい経験を通してより深いものになったのではと思わせられました。

その方のお話を聞いて、改めて院長先生の病者へのいたわりの深さを知らされ感銘を覚えました。そして日々の暮らしに追われてつい思いが遠のいている天国のことを考えました。
娘が亡くなったころ読んだ本の中にP・J・クリーフトという人が書いた『天国についてのすべて』新教出版社(中村妙子訳)という本があります。その中に
「天国にいる祝福された人々は、現在も私たちを見ているのでしょうか?
生者はしばしば、死者がそばにいて自分たちを見守っているような気がするといいます。それは幻想でしょうか? それとも事実でしょうか?
という問いに対して、
事実です。聖書は私たちが「多くの証人に雲のように囲まれている」(へブル人への手紙12−1)ことを告げますが、この文脈では、証人とは死者のことなのです。死者は生きています。なぜなら神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神」(ルカによる福音書20−38)だからです。「人はみな、神に生きるもの」なのです。と記されています。
これには及ぶべくもありませんが、私がその後、一つの物語をまとめたとき、一章だけ登場人物の違う話を組み入れたのですが、そこに天国の人の悲しみということを書きました。
「天国には悲しみが何にもないんだけど、たった一つだけあるんだって。それはね、天国の人は空の上からみんなのこと見てて、みんなのことがよーく分かっているのに、みんながそれをちっとも感じないからなんだって」という青年医師の言葉に対して、自分なら[みんなにテレパシーを送るわ、だってわからないと困るもの」と間もなく天国に旅立ってゆく、幼い少女は答えます。このブログにある『雪菜の話』です。

天国が本当にあるのかどうかは、広く考えの分かれるところです。
つい最近、あるお年寄りの方が、お寺のお坊さんからこんな話を聞いてきたと話してくれました。
『天国や極楽や地獄が、本当にあるかどうかは本当の所わからない。なぜなら誰一人として天国からも地獄からも戻ってきた人がいないのだから。天国や地獄はこの世のことで、心広く穏やかに過ごせるならその人は天国にいるのだし、どんなにお金があってもつまらないいさかいやもめ事を起こしていれば、その人は地獄にいるのです」と言われたそうです。
私は、ああそういう考え方もと、ある意味納得しながら、それでは生まれた地域や時代や環境によって、ゆえなくして苦しみの生涯を送らなければならない人、あるいは理不尽に命を落とさなければならないような人のことは、どのように理解しているのだろうかと思ったのでした。反対に悪行の限りをつくしながら、なお恵まれた環境の中で天寿を全うする人もいます。
そのようなことは世の中にたくさんありますし、しかもそれは繰り返されてきました。
娘は短い生涯ながら輝いて生きた時期もありましたから、もっとつらい人生を送らなければならなかった人を思えば、感謝できることはいくつもありました。でもその時はやはり打ちひしがれました。
そんな時心の中に浮かんできたのは、トルストイの『復活』で、カチューシャの言う、「何を勘定することがありましょう。私たちの勘定はみんな神様がつけてくださいますわ」という言葉でした。
聖書の中には非常に恵まれた環境の中で生きてきた人と、劣悪な状況で生きてきた人が同じ日に亡くなるという話が出てきます。一言で言いきってしまえば一人は天国に、一人は地獄に行くという話です。この話にはまだまとめの部分があるのですが、実は日本の童話の中でも仏教を基本にした同じような話があります。
新美南吉作、「百姓の足・坊さんの足」です。
行いの報いが生きている間には現れず、亡くなったのちにそれぞれの生き方に応じた報いを受けるという話で共感を覚えます。それを思うと先のお寺さんの話は矛盾するようですが、今の世を生きる方策として示唆を与えたものだったのではという気がします。キリスト教でも、「天国の前あじわい」という言葉があるそうですから、軽軽な判断は慎まなければならないと思います。

このところ毎晩、YouTubeでクラシック音楽や童謡、賛美歌を聞いています。心が洗われ、非常に厳粛なそれでいて満ち足りた思いになり、いつ生涯が終わってもという気持になります。
娘の追悼集の中に、ひとりのお友達が寄せてくださった「天国に旅立った友達」という詩があります。後半の部分です。

神様は、毎日笑顔で快活にすごす彼女が
気に入ってしまったのだろうか
きっと彼女は神様と楽しくすごしているだろう
私達が長い旅の途中で壁にぶつかったとき
きっと彼女が助けてくれるだろう
笑顔で、ガンバッテって言いながら……


この詩を書いて下さったのは坂本さんというお嬢さん。医療関係に進まれた方と記憶しています。今はお幸せでいられるだろうか、その後の年月を充実して過ごしてこられたことを信じたいと思いました。
追悼集は本文の紙は上質なもので、経年を経た今も色の変質もありませんが、表紙に和紙を使ってしまったので、その点の失敗がありました。残り部数の表紙をコーティングするか作り直すかして、皆さんに読んでいただけるようにしたいと思っています。

*『百姓の足・坊さんの足』は青空文庫などで気軽に読むことができます。軽快で読みやすく面白いです。
ご興味がおありでしたら、題名を入れて検索すれば本文が出てきます。
posted by kikyoukarukaya2 at 03:22| Comment(0) | ボランティアを始めて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月10日

今年も朝顔


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25年目、早四半世期です。
今日、夫は仕事でしたので、墓地には昨日行きました。
ひまわり、ミント、千日紅、いずれも庭や畑に咲いていた花を持って。

朝顔は昨日初めて花が咲きましたが、前日休むのが遅くなりうっかり寝過ごし、8時ごろ見に行ったら、朝の強い日差しを受けて早くもしおれかけていました。
今日もまた8時過ぎでしたが、昨日よりは幾分元気でしたのでカメラに収めました。日差しが陰るとこれよりは少し元気になりましたが。
いつも5月に入って母の日のころ朝顔の種をまきます。

25年目の今日、午後ボランティアに行き、今日は4時ごろに帰宅できたので、それから畑で雑草の処理、落花生の土寄せ、ささげ、トマト、オクラ、青唐辛子の収穫などを暗くなるまでして、一日が過ぎました。
目下の気がかりは、闘病中の頼子をご家庭を挙げて支え励ましてくださった友達のご両親が、そろって体調を崩されてしまわれたこと。先日お目にかかりましたが、一日も早い回復を祈っています。
嬉しいことは女医さんになった頼子の小学校時代の友達に、先日十数年ぶりで会えたこと。お母さんにもなって、地域医療のために労しておられました。クリスチャンです。

病院のボランティアではもう何人もの方との、短い出会いの後のお別れを経験しました。
病院では患者さんが少しでも穏やかな時間を過ごせるよう、さまざまな取り組みをしていますが、ここでは入院されてから亡くなられるまでの期間が本当に短く、図書などの設備はあっても利用される方はほとんどいらっしゃいません。病状の緩和が大切な治療です。
かつて、がんセンターに入院していた頼子が、面会を終えて帰る私を、図書室で借りた本を帰すと言って傍らに抱えながら、エレベーターの所まで送ってくれた光景を思い出しますが、若い頼子が自分の未来を信じていたからこそ、書物から何かを得、学ぼうとしていたのかもしれません。
その思いは生きる気力につながってもいたような気がします。


posted by kikyoukarukaya2 at 22:43| Comment(0) | その後の日々を生きて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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